〜人の心の中には、他人が消そうとしても絶対消せないブランド魂がある。〜
2007/7/21
一級建築士だった私がどうして WEB プロデューサーになったのか?
私とパソコンとの出会いは、 21 歳の名古屋の設計事務所でのことだった。
そう今はもう一般化した図面を書くCADとの出会いである。手書き図面の綺麗さは好きだったが、その後、そのパソコンの魅力にはまっていく。何が魅力だったか?と振り返ると、作業の効率化と情報整理の一元化であった。 画期的な出会いだった。
その後、工務店等、設計事務所を経て、結婚、 2 児の出産、離婚を経験。
その間も自宅でCAD図面を描いていたが、その後衝撃の出会いがやってきた。
それは 2000 年、インターネットという世界でした。
2 歳と半年の子供との3人の生活。二人が寝静まった後、毎晩インターネットの世界へと引き込まれていきました。そうして、ホームページが自分で作れると知り、チャレンジする事に!
何を題材に作ろうか?と考えました。思えばこれが最初の WEB の企画でした。
そうして、初めて作ったのが「 LivingEssence 」というサイトです。その時の面影や想いがこちらのページに残っています。
そのサイトは、知り合いの設計事務所の方が設計したお家やお店を取材させていただき、紹介していくというサイトでした。その主旨は、「三重県という田舎でも素敵なお家を建てて欲しい」というものでした。OPEN後、ネット上をさ迷い、見よう見まねで、相互リンクの依頼をし、掲示板に書き込みをしていくと、ネットワークが広がり、あっという間にインテリアサイトの中で、多くのアクセス数をいただくサイトとなっていたのです。
そうして、ちょうどその頃でした。「もっと早くにこの情報が欲しかった!」というメールをいただく事が続きました。そう、すでにお家を建てられた方からでした。
ネットがまだそれほど普及していなかった時代です。ネットだけでは情報提供に限度があることを悟り、 2002 年には市民活動団体(ボランティア団体)として友人たちに手伝ってもらいネットを飛び出し、現実の世界でも活動を始めました。その当時勤めていた会社に事務局を置かせていただいての活動でした。その時にサイト名を団体名として登録した「Eハウジング倶楽部」に変更し、お家見学会と称し、有料で住宅見学会を開始しました。
その後は、新聞記者さんに見学会の取材に来ていただいたり、 四日市市住宅施策懇話会に出席させていただいたり、 雑誌や新聞にインタビュー記事( ローカルみえWEB版)が載ったり、チラシや広報等のメディアミックスも行って 80 人程も集まった古民家見学会では三重テレビの方が取材に来てくださったりと、皆様から本当に多くのご支援を受けました。(主な実績はこちらから >>)
この活動に協力いただいたプロの方も 25名以上となり本当にひとりで始めた活動が・・・。と驚きの連続だったのです。実質2〜3年の活動でしたが、団体を通しては 6 件のこだわりのお家が建ちました。そうして、ホームページをご覧になって、直接プロの方のところへ行かれた方も多いようで、団体として把握していないお家も入れるともっと多くの方のお役に立てたようです。
その後、私の独立と子供の成長にともなって、土日のお家見学会の開催が不可能になり、勝手ながら・・・活動を終了させていただきました。
インターネットに出会ってから、悪戦苦闘しながらも自分の思いを伝え、それがどんどん実現していく過程を身をもって体験し、ネットの力を実感した私は、クライアント様に対しても、同じように企画ができることに気づきました。そして、クライアント様が成功されていく姿を見ることは、自分の時以上に喜びを感じる事ができることを知りました。それが WEB プロデューサーを天職だと思った瞬間です。
WEBサイトは実際に運営してみないと、その難しさや楽しさはわかりません。それらを知っているかどうかで、作り方は全く違ってくると確信しています。
私が自分の想いを存分に伝え、それが伝わり、また喜ばれた経験から学んだ中で、クライアント様に伝えている事は下記です。
想いは必ず伝わる。
あなたを探している人が必ずいる。
WEB サイトは与えるためのもの。
与えた分の 1/ 10が返ってくると思って丁度いい。
自ら表現することで、成長は加速する。
ネットワークの広がりが無限である。
自分でWEBサイトを運営して培ったスキルや技術は、 WEB コンサルとして活かされ、試行錯誤して表現したことで WEB の企画はオリジナルのノウハウとなりました。
体験したものにしか作れないWEBサイトがある。そうして、体験したものにしかわからない感動がある。それをクライアント様全員に体験していただきたくて、この仕事を天職としています。
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